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2024年9月11日

沖縄の米軍基地を体験して日米のこれからを考える

沖縄での研修内容
・1日目
キャンプキンザーフェスティバル、キャンプハンセン基地内部視察、キャンプハンセン渉外官の話し、懇親バーベキュー、キャンプハンセン前の米軍が集うバーへ
・2日目
林塾メンバー18人(内、沖縄生れ育ち6人)にて討論会
旧海軍司令部壕

キャンプキンザーフェスティバル

那覇空港に13:30に集合。
空港から出発時には沖縄独特のスコールに見舞われながら、キャンプキンザーへgo!
到着時にはスコールも止み、太陽が照り付ける天気でした。
スコールにあって日差しにあって、まさに南国って感じですw

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キャンプキンザーフェスティバル会場、めっちゃ天気が良くて日差しに目を細めています。
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米兵と一緒にパチリ
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アメリカンサイズのピザです。
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食べ物や飲み物などが販売されて、メインステージではライブ演奏があってとっても盛り上がっていました。
雰囲気を楽しみながらも以下の様な感情を抱きました。

日本の領土なのに米軍の基地があるんやなあ。
早く出ていってもらった方が良いよなあ。
沖縄の人の本音はどんなんなんやろ。
米軍がおらんと日本の国は守られへんよなあ。

キャンプハンセン基地内視察

2時間近くフェスティバルを楽しんだ後にキャンプハンセンへ移動。
キャンプキンザーは浦添市(沖縄の南部)にあり、キャンプハンセンは金武町(沖縄の中部)あります。高速道路を使って約1時間程度で到着。途中スコールにあいましたが到着した時には良いお天気でした。
ここでキャンプハンセンの渉外官の方と合流してマイクロバスにて基地内の視察へ。
米軍基地では、合流した渉外官の様に日本人として米軍基地で働いておられる方が数多くいるということです。
キャンプハンセンは、金武町の面積の50%以上を占める広大な敷地です。宿舎があり、病院があり、映画館があり、コンビニがあり、ショッピングモールがあり、体育館や野球場などのスポーツ施設があり、一つの町を形成しています。
基地内だけで生活が完結できるやんw

高速道路を跨いだ向こう側は、広大な演習場が広がっています。大昔は、砲弾で山が禿山になっていたそうです…。

正面ゲートが高速道路からリンクできる形に変わって、昔の正面ゲートは歩行専用になったそうです。
それが影響して旧正面ゲート前に広がる繁華街への客足が減ったそうです。

渉外官からのお話&懇親バーベキュー

視察を終えてバーベキューの準備をしていると米軍戦闘機が3機上空を飛んでいく。かなりの爆音!
毎日こんな音大変やん!っていうと、この音を聴くと守られてると思うんですと沖縄の方に言われました。逆に本土に行くと何も聞こえないから大丈夫かと不安になるそうです。うーん、そうなんやね。そんな発想は僕にはなかった。

渉外官からのお話で一番印象に残っているのは、米兵はみんな良い奴ばかりということ。
報道の情報だけだと全然印象が違う。
東日本大震災の時には、演習に向かっていた行き先を変えて東北の援助に出向いてくれたそうです。

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真面目に挨拶をするの巻
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関西人やから焼きそば焼いてという感じで焼きそば担当w
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楽しい沖縄の夜が始まりました!
泡盛、大好き!金武町の「龍(たつ)」まいう〜ですw w w

金武町とキャンプハンセンは、80年近くの時を重ね切っても切れない関係性だということを体感しつつも、懇親会の話の中で一番印象に残ったのは、基地があるかないかで言えば無い方が良いという沖縄の方の言葉。
重い言葉だと思った。

金武町の夜の街へ

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キャンプハンセンの旧正門ゲート前に広がる金武町の繁華街。米兵で賑わっています。
20代くらいの自分の息子と変わらない年代の若い米兵が楽しくお酒を飲んでいる光景を見ると、遠い故郷を離れ日本で兵隊としての任務に当たってくれていることへの感謝の気持ちが湧き上がってきました。
皆さん、様々な事情があって日本に来てくれてるんやろうなあ。

討論会

二日目の朝は9:00から12:00まで3時間の討論会。

様々な感想が語られました。

沖縄に負担を押し付けている。
米兵は意外とフレンドリー。基地をどうにかしたい。
海兵隊には良いイメージを持っていなかったがそうではなかった。
沖縄に住んでいる人も基地を見にいった方が良い。基地のデメリットばかりが報道される。
夜の海兵隊をはじめてみた。暴れた時が怖いという印象がある。
米軍基地内で語学留学などの仕組みを作れば良い。
自衛隊には魂の部分が足りないのではないか。
米軍、賛成反対の二元論にならないように気をつけなければならない。
軍用地が沖縄県民の分断を生んでいる。
地主だけでなく、住民税の減税など住民全体に還元すべき。
戦後80年、大半の方は米軍キャンプと人生が一体。基地にどいてもらうのは不可能では無いかと感じた。
基地に人の名前が付いている。日本は地名や自然の名前をつける。文化の違いがある。
自分の国は自分で守る自己防衛が基本だが町民のためには基地を利用すべき。
現状を良しとはしていないが、現実としてどう対処するかが大切。
基地を無くして真の独立が必要。基地なき後の金武町をどうするのかが大切。
戦後80年、沖縄は変わらなければいけない。

その後、辺野古基地の反対70%の住民投票結果について
地政学的に沖縄の基地は仕方がないのかということ
基地返還後のまちづくりについて話が続きました。

時間切れで話できなかったこと、僕が議論したかったことは以下の2点です。

沖縄と日本を分けることの違和感について

うちなんちゅ(沖縄人)ないちゃあ(本土人)
という言葉が沖縄にあるということは、沖縄の人としては文化として分けておいた方が良いとう暗黙の判断なのだと私は思っています。あと1879年まで450年間続いた琉球王国があったという歴史をリスペクトしないといけませんし、その上で沖縄は日本であるという現代の事実を紡いでいかなければならないと思っています。
この辺をみんなと議論したかったけど時間切れで残念でした。

米兵は良い人だけど政治的判断で本当に守ってくれるの?

今回の研修会で沖縄に集っている米兵の大半の方はいい人なのだと理解することができました。
ただ、戦争となった時にアメリカ本土の政治家は在日米軍を戦争の最前線に送り込むのでしょうか?その辺の不安があるのだけれどどうなんやろうというのが私の疑問です。これもまたの機会に議論したいな。

旧海軍司令部壕

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大田司令官の最後の電文
”沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ”
この想いが僕のハラにずしりと届きました。

最後に思ったこと

今回の研修で沖縄の方も含め全員に共通していたのは、日本に米軍基地があるかないかで言えば、ない方が良いということ。
あとは、時間軸の問題なのかな!?
そう考えた時に基地を無くしていく為のロードマップを真剣に考えて作っている人が日本の政治家にいるのか。
場当たり的になっているのではないかと思う。
カサブタのように急に剥がすと大量の出血を伴ってしまうので、計画的な対処が必要なのだと強く思った。
反対賛成のイデオロギー的な二元論におちいることなく向き合って行きたい!

茨木に帰ってきてからの番外編

茨木に帰ってきてから雑談してて思ったこと。
金武町で演習場として使用していた場所が返還されており、そこのまちづくりをぐるっと見せてもらった。
医療施設、ヘルスケアセンター、フッティングセンター、ホテル、野球場、サッカー場、体育館ととても立派な施設が建設されていました。
町民の身の丈にあった開発なのかどうか少し疑問を感じるものがありました。
沖縄に投入されるお金が町民に寄り添ったものでない開発などの事業者だけが儲かる仕組みのものだとしたら、もっとしっかりと基地返還後の跡地活用に取り組んでいかなければならないと思った。沖縄の土地が食い物にされるようなことがあってはならないと。

タコライス発祥の店、金武町のキングタコスでタコライス!
めちゃくちゃ美味かったよw
ふたも閉まらないくらいのボリューム。
ピリ辛ソースが美味しい!ほんでもって金武町住民に教えてもらった裏ワザのマスタードが更に美味かったw

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